稼穡・・・父の話

  父は、1600年頃に忍藩に入植した代々の百姓の家に 上に姉二人下に妹二人の5人の真ん中に長男として誕生した。

  私の祖父に当たる父の父親は、幼いころに縁側から落ちて頭を打つ怪我により少々の知的な遅れが見られた。長男として行田市内の藩校から続く学校に通わせられ文字の読み書きを習ったという。毎朝 新聞を読んでいた様子を覚えている。私が20歳の時に亡くなったが意思の疎通ができない人だった。孫を可愛いと思っていたのかどうかさえ分からない。言葉に出したり可愛がって貰ったりという記憶は皆無で印象の薄い人だった。亡くなる直前まで農業を手伝い 母に頼まれて野菜を掘り出したりの雑用をして長寿を全う。両親はそんな祖父を大事に扱い看取った。私の祖母は、かなり前に亡くなっていたので為人は不明。

  父が戦争から帰って来た時、家には 祖母・父・妹二人が居た。全員が成人なので百姓をして約しく暮らしていれば通常の暮らしができていた筈である。帰ってきた父が見たものは借金こそなかったものの家と地所のみ残って家は傾き・・・文字通り 雨が漏り 根太やら何やら腐って北側に傾きいつ倒壊するか分からない。蔵は壁が落ちて見るも無残。土地・刀剣書画骨董什器類を祖母と父親がすべて呑んでしまった後だった。もう少し戦争が長引けば一家離散して私が生まれることもなかった。

  父は2年間で農業の基礎を固め家を最小限修理して母を娶り 先祖伝来の土地を買い戻しながら娘3人を育てた。末の妹が大学卒業直前 就職が決まっていた時に突然の交通事故で世を去った。


  こんな臭い話に付き合っていただいて申し訳ないです。私にとってこの問題文はリアルに父の思い出です。
(二)18 父はカショクに励んで先祖伝来の土地を買い戻した。  
  皆さんの指摘をいただいて戦争から帰って来た男たちがそれぞれの立場で懸命に働いて今日があると改めて気づきました。「貨殖」も当然正解だと思います。
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じ~ん

心に沁みるお話しありがとうございました。

流行らないことは承知しています

私が物心ついたとき 父は朝早く起きて畦から秣を刈ってきて馬に与えた後でした。冬の昼間は手に皸を作って農作業。夜は俵を編んでいました。夏は、稲作、冬は麦作で1年中働いていました。

世の中が変わらなければ長女の私が婿を取って今頃 体を二折りにして桟俵(さんだわら)を編んでいたことでしょう。桟俵は、米俵の両端にある丸い藁の蓋のことです。実家では、縄綯いと俵を編むのは男、桟俵を編むのは女の仕事と決まっていました。

時代の進歩は今日の繁栄を齎しました。代わりに地球規模で失っているものを思うと何とも切ない思いに捕らわれます。こんな流行らない話にお付き合いいただいてありがとうございました。
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