私が転けたら皆転ける

  昨日は、病院の定期健診だった。結果は良好、特に変化なし。

  去年の今ごろは人生最大の修羅場だった。
  姑が脳溢血で倒れて意識不明が10日以上続いた。99歳という高齢なので葬式を出すことになると思って夫と二人 必死で大掃除した。ピカピカにしてこれでいつ不幸があっても大丈夫というレベルになった。美容院に行って髪を整え喪服の予約をした。

  10日目ごろに医者に呼ばれていくつかの脳のレントゲン写真を見せられ 
  「最初はこの部分に脳の出血があったが昨日の写真では脳の出血は吸収されてなくなっている。目を覚まさない理由は分からないが家族が 『起きなよ、起きなよ。』 と呼びかければ意識を取り戻すかもしれない。」

  とのことだった。それまでは意識不明ということもあって午後数分様子を見に行くだけだった。夫の弟にも連絡して 「できるだけ来て起こしてほしい。」 と頼んだ。朝・昼・夕方と1日に3回顔を出して 「起きてください。」 と揺すった。そのうちに混濁していた意識が戻って少しずつしっかりした表情が戻ってきた。食事時に行ったら介護の職員がゼリー食を食べさせていた。最初はかなり噎せていた。介護の人は噎せると食事を止めて片付けていた。一度も誤嚥性肺炎を起こすこともなく少しづつ食事の量が増えて、リハビリを進めて車椅子に乗ってはいたけれど足を挙げられるようになった。ある程度回復したのでホームに戻って現在もそれなりに健やかに暮らしている。

  娘は、ぎっくり腰で唯一食事を口に運ぶのができる程度だった。孫を車に乗せるのも 風呂に入れるのもオムツの取り換えも私がやっていた。

  期間中 私の病院の検診で午前中だけ地区の保育園に預けた。8時半から12時半ごろまでカーテンの陰に隠れて飲まず食わずで泣いていたという。子どもを親から離すと脱水症状で最悪 命の危険があるという。今だったら自分の検診を1カ月ほど後にしてもらったと思うが孫の様子がそこまで深刻になるとは思わなかった。

  漢検は申し込んであったが行かないと決めて毎日掃除と孫の世話をしていた。姑が食事をとるようになり娘も孫の世話ができるまでに回復したので直前3日ばかりの準備で受検した。合格が今までで一番嬉しかった。

  私が転けたら皆転ける。
という状況は、1年前とたいして変わっていない。姑は、ホームでそれなりに暮らしているし 娘は孫の子育てでかなり消耗している。
  漢検会場に行ければ 御の字 である。

忙しかった 漢字もやった

  「孫が魚に拘っているからイオンの300円ショップで魚を買ってきて。電話して取っといて貰ってあるから。」
と、娘から電話があった。イオンの店内パンフレットをいくら見ても300円ショップなんて無い。インフォメーションに訊きに行った。

「ここです。」 と美人の嬢が丸を付けてくれたのは 
「3COINS」
「ジジババにそんなの分かるわけないよ。ま~ったく。」

  魚は、皿や茶碗を洗うスポンジだった。5個も買わされて電車で届けに行った。午前中買い物、午後 ずーっと電車に乗って一日が潰れた。電車に乗っている間中 漢字を書いていたから少し進歩した。


  帰宅したら市長から姑に対して 祝状と花が届いていた。他に祝金が50000円とのこと。姑は、もう使うあてはない。親戚は、誕生日当日に来てくれたので手土産を持たせた。このお金は、どうしようか?散々介護したので 私が戴きたいがそれを言ってはお仕舞、言わないよ。

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一人暮らしのお年寄り・・・体験

  秩父の娘の家に居る。娘と孫は出かけたので 昼食を挟んでしばらくの間 独居老人になった。朝 孫が愚図るので 娘と孫と私とドライブに行った。途中コンビニで朝食と昼食を購入。

  お昼、買ってきたスパゲティとカフェラテを電子レンジでチン。食べてゴミを捨てて 付いてきたお手拭でテーブルを拭いてお仕舞い。

  なんと言う味気なさ。今まで車で来たことはなかったけど 次回からは車で来て途中スーパーで食材を買って作ろうと思う。茄子の漬物やたくあんの漬物、新生姜の薬味 日常何気なく食べていることが大切だと思う。

  夫も今頃 「あんなグータラ女でも居ないよりは良い。」 と思っている筈。麵は茹でたてのうどんやラーメン・スパゲッティが美味しい。ご飯であれば 炊きたてのご飯にインスタント味噌汁、納豆や新生姜の刻んだのをドッサリ載せた冷奴、レンジでチンした半熟卵。有り合わせの漬物。

  以前テレビで私と同世代の一人暮らしの女性の食事風景を見たけど ご飯と味噌汁と缶詰一つだった。その女性は経済的にも恵まれていないということだったけど 経済的に恵まれていても一人暮らしだと面倒になってたいした食事は出来ないと思う。

  老人向けの配食サービスがあるらしいけど味付けや食材の好き嫌いがあるので私はあまり利用したくない。

  家族と暮らすというのは、良い事ばかりではないけれど食事に関しては 食べさせる人が居るのは良いことだとつくづく思う。

ご長寿100歳

  昨日 姑の100歳を祝って内閣総理大臣からの祝状と銀杯を市役所の職員が届けてくれた。誕生日に市長からも金一封と記念品が来るという。

  今日はこれから祝状と銀杯を持って姑に見せに言って来る。何というかな?

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  祝状と銀杯を見せた。
  姑は、自分に贈られたものだと理解はしたが淡々とした感じでそれほど嬉しそうではなかった。食事はゼリー食、外に出ないので着るものも不要。よく見えないしよく聞こえないから何か見たり聞いたりする欲望もなさそうに見える。かと言って息子や周囲に愚痴を云う訳でもなく何事も運命に委ねているのか?100歳の幸せは想像もできない。

  会話は殆ど筆談である。文字が良く見えないみたいで斜めから目を細めて字を読んでいる。

  「親戚に集まってもらって祝いましょうか?」 
と書いて質問したが返事はなかった。親戚に対してちゃんと会話が出来そうもなく 義理堅く交際してきた姑には負担かもしれない。

 老いを考える

  昨夜は、母がお世話になっている老人ホームで夏祭りがあった。
大きなホームなのでイベントはいつも盛大である。孫たちは、うどんやかき氷などお腹一杯に食べ盆踊りを踊った。最後は、300発の花火、頭上で弾ける花火の迫力が写真になるとショボい。

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  数日前、娘が何気なしに 
「来年の夏祭りは、〇〇も一緒に行けるね。」
と3才の孫が来年は参加できると言った。私は
「来年は、無くても良いよ。」

  母は、93歳。認知症が進んでいつも不安の中にいる。イベントの時など
「今日は賑やかだね。何があるんだろうね?」 
「今日は、〇〇だからみんな家族が来ているんだよ。」 
「へ~、そうかい。」
の話を何回も繰り返す。

  私は、閉所恐怖がある。どういう状態かというと那須岳に3姉妹で登った時 シーズンなので渋滞になった。よそのお宅の車の中には、高齢者や幼児が見られた。事故で車が炎上しても自力で逃げることができない人たちである。渋滞に巻き込まれて私が 「怖いから帰ろう。これじゃ~ 事故ってもパトカーや救急車が来れないよ。」 とずーっと言い続けていたので途中でUターンして帰ってきた。以来、旅行のお誘いが減ったのは言うまでもない。それでも閉所恐怖よりはましだ。

  母は、閉所恐怖よりもっと言いようのない不安の中にいると思われる。そういう状態の中で生き続けて欲しいというのはどうなんだろう。私自身だったら不安を感じるだけの老後は勘弁してほしい。
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